手相診断は基本的に抽象的な答えか相関性がある答えしか返ってこないような気がするのは、私だけだろうか。

最近、私は手相から、「就活」において見てもらった。

どこで手相を見てもらったのかということは、書かない。書いた所で、その手相診断士のファンからボロクソ叩かれるという未来が見えるからである。とりあえず、占いの結果に疑問を持たず聞き入れる人達は、一種の新興宗教の信者のような狂信的さが見受けられるのは何故だろうか。

 

それはさておき、「就活」の手相を見てもらう際に、「どの業界を目指しているのか」ということを尋ねられた。私は、即答で「出版業界」を目指していると伝えたら、手相診断士は色々、意見を述べた上で、「文章書くのがうまい」と私に付け加えるように言った。

だが、ここで一つ言いたいことがある。「出版業界」に志望する人の大半は、文が書くのが好きだ(私の周りの出版業界を志す人10人中10人が文を書くのが得意である)。

しかし、出版業界を志す11人目の私は、残念ながら文を書くのが苦手である。特に、こういう風に自分を語ることが大の苦手である。だからこそ、企業に対してのラブレターであるES笑は仕上がらないまま、書類をリビングの机の上に放置している。

 

悲しいことかな、手相を診断されている間、診断士が述べる言葉が当てはまっているという錯覚に陥ってしまった。しかし、言われたことをメモ帳にかき連ねてみると、本当に確固たるものがない。

まあ、占い狂信者の友人にこの事を伝えた所、「手相は変動するから、断定はできないのよ」とのことだった。そうか、ではもしかしたら、私は石油王と結婚できる手相でもあるかもしれないし、それとも六本木のタワーマンションの一室でバスローブを身に纏い生活しているかもしれない。そう考えていたら、妄想のほうが安上がりであると笑ってしまった。というわけで、明日から「妄想占い屋」を開設しようと思う。

 

まあでも、他人に何かしらを言ってもらいたいのだろう。些細なことでも安心が欲しいのだろう。ならば、占いに頼るのは正解かもしれない。少なくとも、前に占ってもらった人達の顔は何かしらふっきれた顔をしていたからだ。

 

とりあえず、批判ばかり、眉間にしわ寄せ女の私が手相で得たものは、抽象的な答えすぎて納得できずにモヤモヤした感情と診断料を支払い、ほんの少し軽く変貌を遂げた財布である。